スタジオジブリの人気作である「崖の上のポニョ」。
主人公である宗介は母親「リサ」と父親「耕一」を”お母さんお父さん”と呼ぶことはありません。
初見の時から気なる人も多いのではないでしょうか。実は呼び捨てにするのには意図がありました。今回はその理由について紹介・考察していきます。
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崖の上のポニョ・なぜ両親を呼び捨てするのか?
正直いうとポニョはそんな好きじゃない映画なんだけどね…。
だって母は無茶な運転するしソウスケは親を呼び捨てにして水道水に金魚入れるし崖より下に住む人はみんな死んでるし。タイトルも「崖の上へポニョ」か「海の底からポニョ」なら分かるけど「崖の上のポニョ」って~てなる。— taku (@takuchan28) August 17, 2019
崖の上のポニョで、お子様がお母さんの事を名前で呼び捨てにするの、家族連れ層の人から「子供が真似すると困る」って叩かれてたんですが、風立ちぬではお互い敬語で話してて、これ以上無いくらい礼儀正しい親子関係になってるの、作品の時代背景もあるんだろうけど、意外と叩かれたの気にしてたのかな
— ひきこうもり (@Hikikomori_) April 12, 2019
宗介がお母さんのこと「リサ」って名前で呼び捨てするたびにちょっとワケありな親子なのかなって想像しながら見る崖の上のポニョとてもおもしろいですね。
— 奏音69♛Royal Scandal (@KANON69) February 13, 2015
宗介が両親の事を呼び捨てにする事に対して、不快感を感じる人がいます。宗介は5歳の男の子です。すでに物心もしっかりついています。
- 生理的に受け付けない。
- 教育上に良くない。
など公開当時・地上波放送時にはネット上で批判の声が相次ぎました。
ですが、理由がある事がわかっています。公式な発表と個人的な考察でいうと以下になります。
しかし、実は両親を呼び捨てにする事については明確な理由が存在し、監督である宮崎駿監督の意図があるとプロデューサーであった鈴木敏夫さんが公言していました。
「宮崎駿監督の設定としては、おそらく母であるリサがそう呼ぶように宗介を育てている」
「呼び捨てにさせるのは、家族間であっても、一個人として自立すべきだということの象徴なのだと思います」
「もしかすると、今後の日本の家族のあり方なのかもしれない」
と答えていました。
日本の時代背景に対する家族のあり方
2008年に公開された「崖の上のポニョ」。
当時は、少しずつ日本の家庭や社会情勢・金融情勢の変化、地球温暖化など、未来の日本を少見つめ直す必要があると意識し始めた頃です。
その中で、家庭のあり方も変化していく必要があると宮崎駿監督も頭の中にあったのだと思います。
公開当時から今に至るまで、賛否両論ありますが、宮崎駿監督の未来の家庭のあり方への影響を考えた上での「呼び捨て」だと考察します。
一個人として子供の頃から自立を促す(2019年の時代背景)
宗介は一人の人間として、これから日本の社会を担う人物になります。
よって、「お母さん・お父さん」と呼ぶ事で、結果的に親を超えて成長する上での妨げになるのではと、宮崎駿監督は定義しているのだと思います。
今後(2008年以降)、宗介のような子供たちが、父親・母親と同等の立ち位置で物事を考えていけるように成って欲しいという願いが込められていると考察します。
実際に公開より10年以上経過した、2019年現在、働き方などが多様化し、個人で経営する人たちが急増しています。
そんな中、親という大人たちに依存せず、自分たちで道を開いていく時代が象徴しています。
未来を見据えた子供たち=宗介へ希望を託したのではないでしょうか。
そう考えると、宮崎駿監督の采配の恐ろしさを感じますね。
両親としてではなく、大切な身近な存在として意識させる
宗介が母親のリサを探しに行った先でクルマを見つけ、何度も何度も「リサ」と叫ぶシーンがあります。
このシーンが逆に「お母さん」であると、全く違った印象を受けます。
母親にすがる気持ちが強くなると思いませんか?
しかし、宗介は、母親という肩書もない、大切に想う身近な存在として、リサを呼び続けます。
このシーンのために、リサを含む両親を呼び捨てにするという設定があったのではないでしょうか。
そう考えて、一つ一つのシーンを見ると、違った捉え方ができ、5歳でありながらも宗介の自立心を感じる事ができます。
リサの教育の意図や理由について
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ふと思い出したんだけど、ポニョで子どもがお母さんを呼び捨てにする設定、あれは宮崎駿監督のなかでどういう意味があるのか知りたいなぁ。
— 鈴木マサカズ@子供を⑤マトリ⑦発売中 (@suzukimasakazu) June 27, 2012
ポニョの主人公が母親のことを呼び捨てにするのは如何かみたいな話も、ええーそれは母親の教育方針や二人の関係を表すための良い表現なのにそういう疑問湧くぅー?!と思う
見方が変われば評価も真反対なのなー— うろおぼえP (@urohoboe) March 22, 2018
ポニョは親のことを呼び捨てにしてる子供、仕事ばかりで家に帰らない父親、つねにイライラしている母親のダメ家族の話。宗介が水道水を入れるのは親がそういうことを子供に教えてないという意味。宮崎駿もそれを意識していて、久石譲に音楽をつけてもらう際「ダメな親なんです」と書いたメモを渡した。
— カトキチ (@katokiti) February 19, 2015
宗介が両親を呼び捨てにする理由がわかった所で、今度は両親・主に登場するリサの教育方針の意図について考察していきます。
自分の子供にあえて呼び捨てをさせる教育方針はどのような効果をもたらすのでしょうか?
こちら賛否両論あるかもしれませんが、
呼び捨てにすることにより、両親・父親母親として意識すが薄れることは間違いありません。
逆に一人の大人として認識する事が多くなります。そこで、自分(子供)と比べる機会が大きくなることで、親に近付く事を意識するようになります。ライバルとして認識するようになります。
先輩・上司などの位置として親を捉えはじめます。
よって、親に付いて成長するのではなく、大人に成る前から、幼少期に自立する力を育てる事ができるのではないかと考察します。
しかし、専門家などの意見はなく、あくまで宮崎駿監督を含む制作側の考えたリサの教育方針だと思います。
もしかすると、自分の経験を踏まえて、「こうしたら良いのではないか?」という意味も含まれているのではないでしょうか。
個人的にはリサの教育方針には賛成です。
親である自分さえも小さい頃から追い抜いていけることは本望です。そこで、上手く親が勢いをそのまま、軌道修正してあげる事が斬新で新しい教育方針だと思います。
まとめ
今回はなぜ宗介は両親を呼び捨てにするのか考察していきました。
リサの教育方針はかなり批判されていますが、個人的には全然ありだと思いました。
この方法が間違っているとしても、映画を見た人たちが各々で感じて自分たちの子供に対しての接し方を見直す意図もあると思います。
いずれにせよ、どんな小さなシーンでも宮崎駿監督のメッセージを感じる事ができます。
ポニョに関しては抽象的な作品であるゆえ、何度も見直してみると気付きがあると思います。
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